2008年 02月 24日 ( 1 )

138. 弟子のはなし

<長谷川>先生が「講談道場」を始めたのはいつ頃ですか?
<芦州> 芦州になってから二、三年経ってからですわ。
<琴柳> 昭和四十五年位ですね。
<芦州> だってまだ始めやった時はそんなに集つまんなかった。始めた訳はね、あまりにも二つ目とか前座がひどいんですよ、あれが。そいで先代の馬琴さんが、「虎ちゃん何とならねえか。前座は修羅場ができなきゃいけない。基本をできるのは、おまえだけじゃないか。だからひとつ鍛えてやってくれ」、それで、本牧亭の高座を借りて[遣ったんです]。当時は一龍斎貞松とかずいぶんいましたね、名前だらけでそういう人達が。
<長谷川>素人さん相手ではなかった。
<芦州> 素人でないんですよ、プロの前座、二つ目でまあプロの養成機関ですね。予備知識も知らないから、筆記試験じゃないけど、何年の何月何の事を知ってるか、それから遣ったんですよ。そいで、まず手本はこうだよっと。素人でないんす、全部プロ。 それが今度は、もったいないから、素人の生徒を集めたらどうだで、一人二人口コミみたいなもんで、始まったんです。そんときには女性も混じってましたよ。後に下北沢で遣ったときは、ほとんどが女性でしたよ。で男性には後にNHKのアナウンサーになった内藤啓史{註:「堂々日本史司会」写真}がいました。琴柳より後輩かな。
c0121316_11541688.jpg<長谷川>その頃何人かお弟子さんはいらっしゃったんですか
<芦州> あたしは、お素人さんを教る事は遣ってましたが、弟子を持つことはあんまり好きじゃないんですよ。あたしの師匠もそうでしたよ。でなんでかっていうと自分が集中して、これわっていうのは独りでたくさんですよ、何人もいると結局並べて遣るようになっちゃう。そうすると芸が死んじゃうと思うんですよ。面倒だから五人並べてこう演るんだよと遣ると、師匠そっくりやりゃいいと思って、誰聞いても皆な同しになっちゃう、だからそれはいけないと思って、だから弟子を取らなかったんです。そしたら、田辺一鶴の弟子に三鶴と言うのがいて、それが「あたしは一鶴さんを辞めて、本格的にやりたい」って、聞いてみてら何か噺家みたいなしゃべりなんです。可楽{註:八代目三笑亭可楽}さんの弟子だったから話がなんか落語みたいに聞こえる。それで、二度か三度来て「本格的にやりたいんです。お願いします」って。弟子が今いないから一人位はいいだろと一鶴と話つけて、貰ったんですよ。田辺三鶴から小金井清州になったんです。
<長谷川>後の高峰東天さんですね。
<芦州> ところが、弟子が一人でしょう、なににつけても用はたさなけゃならない、それに[師匠は]やかましいし、だもんだから、野郎こりゃいけね誰だれか、入んないかな[と探していたら]、そこへちょうど宮内政美{後の琴柳}という生徒が講談道場にいたんだ<笑い>。そいで、おいでおいでしたんだか、当人がいいと言ったんだかは分かりませんよ。東天が「もうひとり弟子持ちませんか」、いらないよ。「そんなこといわずに」でとうとう、そうなっちゃった。そうすると、安心しちゃって、こんだは漫才に行っちゃった。災難なのはこっち(琴柳に向かって)散々後悔してるでしょ。
<琴柳> いえいえ。
<芦州> 正直に言え<笑い>。この間も香織{神田香織。神田山陽門から小金井芦州へ預かり}の問題出たんですけど、小金井を名乗らせるのですかと云ったから、名乗らせません。小金井はひとりです。小金井芦州はわたくしは琴柳に決めてあるし、家のもの全員もそう思ってんです。息子はもとより女房も琴柳さんに名乗って欲しいから。だから他の名前を名乗らせるけど、預かり名前があるんでそれを名乗らせるけど、小金井の名前は名乗らせません。芦州を早く名乗って欲しいんだよ、本当なんだよ。こっちゃは北梅{小金井北梅}という名前になりたいんだ。
<長谷川>琴柳さんは先生の手を離れて、琴鶴{註:六代目宝井馬琴}門下になりましたが、それはどうしてですか。
<芦州> ぼくが講談組合を辞めたんだからです。
<長谷川>それは、いつごろですか?
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(宝井琴柳:撮影森松夫氏)
<芦州> 最初の分裂{註:昭和四十八年、講談協会が講談組合と日本講談協会に分裂}から、しばらく経ってから辞めたんですよ。{註:昭和五十一年}最初の分裂の時は講談組合にいたんです、それからどうも空気がよくないんですよ。その前に宝井派が、ぱっと行っちゃったんです。東京講談会をつくった。そんなもんだから、こりゃいけないやと。というのは、今の伯龍が一番の親方みたいな顔をして、本当はろ山さん{註:二代目神田ろ山}が組合長なんです。ろ山を立てんならいいんですが、自分が表面に出ちゃって、だもんだから、こりゃいけないや、それであたしはパッと身を引いたんです。貞水からこまんじゃないかと言われたけど、あたしは悪いけど遠慮さしてもらう、で下がった。つまりそん時に琴柳{註:当時小金井桜州}がいたんです。琴柳も間垣平九郎{註:寛永三馬術}じゃないけど。一緒に辞めると、うれしかったですよ。だけどあたしはなんとでもなる。組織に就いていない若い人の場合は、オレの経験では、この先苦労する。それで琴鶴に頼んで預かって貰った。すると「こっちに来たからには。名前を宝井に」構いませんよ。先祖は同じなんだから、相撲で言えば、あっちは出羽海部屋、こっちは春日部屋だから構いません。そいで、宝井鶴州となった。おまえも随分名前変わってんだよな。最初が総州で次ぎに小金井桜州、宝井鶴州になって宝井琴柳その後は芦州だ。
<琴柳> いえいえ、師匠に長生きをしていただかないと。
<芦州> もう継いだっておかしくないよ。おまえの年におれは継いでんだから、ねえそうでしょ<一同うなずく>。
by koganei-rosyu | 2008-02-24 10:27 | 聞書き:自伝