105.大島伯鶴と一龍斎貞山(3)

<芦州>六代目貞山さんはウチの亡くなった師匠の仲人なんですよ。だからどっちかっていうと私にしてみれば六代目の方に近いんですよ。貞丈、貞鏡はもう使えねえから、「お前さんとこの小僧をやってくんな」。それで大掃除の手伝いに行きましたよ。ところがこの六代目貞山さんがね、御承知のとおりお金に細かいでしょ。それに輪をかけてこのオカミさんがしみったれときている<薄笑い>。 手弁当で行ってさ、すくなくとも風呂銭ぐらいはねえ、それも無え。大掃除に二回目言われたとき俺嫌だって言ったの。そしたらウチの師匠が呼びだしくって。「オマエさんとこの小僧は何だ!ね、首を即刻切りなさい」と。ね、ウチの師匠が「オマエ、なぜ行かなかった?」ジョウダンじゃねえ。師匠の前で啖呵(たんか)をきったの。オレは貞山の弟子じゃねえ!小金井芦州の弟子だ!!承服できねえ、直系がいるんだからそれにやらせりゃいいんだ。そんときから、もう、一龍齋とはあんまりね・・・<笑い>。ウチの師匠困っちゃて立場上、相手に逆らえないよ。落語協会の会長でもあるし、そいで六代目に謝ったんです。それを聞いていたのが、大島伯鶴で六代目と仲が悪いでしょ。伯鶴さんとこの番頭さんで、村上白水というマネージャーが「うちの親父が言ってたよ、桝井(六代目貞山)に逆らって、骨のある小僧じゃねえか。俺んとこで使ってやれ」。そう言われて伯鶴先生の鞄持ちを。其の時、軍馬の慰霊祭{註:太平洋戦争で、20万頭が犠牲になった靖国神社に「軍馬の像」がある}をどこそこの公会堂とかいうところでやりました。馬にちなんで伯鶴先生が「寛永三馬術」、木村友衛{註:浪曲師初代、日本浪曲協会初代会長}さんが「塩原太助」の青の別れ、先代円歌さん{註:二代目三遊亭円歌}が「馬のす」、それから、ゴリラのまねをやる漫才師と前座がワタシ、ところがワタシは二人か三人のところでしかやってないでしょ。あんな大勢、公会堂満員ですよ。そんなとこ初めて、前には陸軍の中将とか大将とか変な奴が一杯でしょう。あがちゃいましたよ。その時やったのが「海賊退治」笹野権三郎。
105.大島伯鶴と一龍斎貞山(3)_c0121316_12241272.jpg<長谷川>馬が出てきませんね。
<芦州> しょうがない、覚えてないから、三馬術なんてやったら張り倒されちゃうよ<笑い>。知ってはいても演りませんよ。そしたら、友衛さんが病気になっちゃって、そいで今の若衛{註:初代。高音の魅力と華麗な舞台で戦後の浪曲界を支えた}さんが代演に来ました。そしたら、伯鶴先生がこれから俺は「新喜楽」にいくから、お座敷に行くからお前残れ、伯鶴先生のあとに今の若衛さん、ピーピーいい声で若々しい塩原太助をやる。ところが、飛んじゃった。伯鶴さんすぐ降りてくるよ。ところが五十五分、すぐじゃないよ。てめえがいい気持ちんなっちゃって愛宕山をそっくり(全部)、「演りすぎたかな」。気の毒なのは若衛さんですよ、はじめのうちはいい声だから持つけど、[客がだれちゃった]。芸とはこんなにもまた違うものかなと思いましたよ。伯鶴という人は広沢虎造を喰ったからね。上野日活館でアトラクションで伯鶴さんの男の花道(名医と名優)と広沢虎造の次郎長、入りましたよ。ところが虎造さん喰われちゃった。えらいもんだ。伯鶴先生から見ればまだヒョッコで呼びつけですよ。「オイどうした」。虎造さんが先に出て、燃えてる盛りでよかったですよ。それにもまして「名医と名優」はよかった。私がまだ講釈師になっていないとき、十三歳の時だったからね。いいか悪いかわからないけど。周りの大人の人が伯鶴の[方]がいいなって声が、耳に入ってましたよ。
by koganei-rosyu | 2007-11-26 10:56 | 前口上とプロフィール
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