102.桃川燕雄の事(3)

<長谷川>一番多く習ったのは?
<芦州> 桃川燕雄さんが一番多いです。うちの師匠につけて持ったのは修羅場ぐらいなもんでしょう。師匠のやってるのは、ワキで聞いて覚えたぐらいなもんです。相対(さし)でつけてくれたのは燕雄さんです。ほとんど武家物はそうです。「柳生二蓋笠」(やぎゅうにかいがさ)で、親子で、又十郎{註:宗矩の実子で後の柳生宗冬}と但馬守宗矩との試合があるでしょ。その前なんです。つまり又十郎が道楽{註:但馬守の愛妾と密通}して勘当うけて、あそこの出羽国の上戸沢に隠遁している磯端伴蔵のところで修行する。102.桃川燕雄の事(3)_c0121316_18395634.jpgそこを燕雄さんに教わった。そこは誰もやらないんだ。あたしはそこばっか演っていた。磯端伴蔵は何も教えない。しょっちゅう使いばかり、巻き割りだとか。伴蔵が味噌汁をこしらえる、その味噌をわざわざ毎日麓まで買いにやらす。行って帰る距離が長いでんすよ、それは足を鍛えるために毎日毎日行かせる。ある時又十郎がなんでくだらねえ。買い置きしてればいいのに毎日行かせんだ。それで早く楽をしようと、いつもの道と違って、藤蔓を伝わってパーンと、ターザンじゃないけど行って、そうすると行きは早く着く、帰りはそのまんま、時間が違う、伴蔵がお前ねいつもと違うがどうしたんだ?これこれこうです。それが一つの工夫である。これは極意の猿尾の術というんだ。一番初めにエテ公の術を覚えさせられたわけだけどね<笑い>。次は油断をしてはいけない事を教わる。疲れてるから夜中に寝てると、ポカッとやられる。なかなか寝られない。で、だんだん油断がなくなってきた。ただ、メシを炊いてるときに居眠りをするんです、又十郎が。そうすっと後ろから磯端伴蔵がそーと来て、ポカッとやる。たとえメシを炊いているときでもいつなんどき敵に襲われるかもしれない。こんどはメシを炊いてるときは、油断しないでパッとかわす。 ところがメシが炊けて、メシを喰う時、お腹が空いてるから隙が出来て、ポカッと不意打ちを食らう。メシを食う時でもいつ敵が来るかもしれないって。メシをよそうんでも、食うんでも回りを見てエイヤーとやる、そこんとこがおかしいんだよ。それを桃川燕雄さんに教わりました。うちの師匠が聞いてて、なんだお前燕雄に教わったのかって。たいがいのは、そんなとこは無くて、いきなり三年の修行の功により新陰流の極意を許されてですましちゃう、江戸へ乗り込んでいって大久保彦左衛門のところを訪ねる。それから、但馬守と試合です{註:二蓋の菅笠のみで勝つ}。だけどもあたしのは、試合までいかないんですよ。修行のところでおしまい。その後教わろうとしたら燕雄さん死んじゃったから。
(余滴)
桃川燕雄
本名河久保金太郎
明治二十一年1888~昭和三十九年1964 (享年76)
東京四谷生まれ
明治三十六年、当時名人といわれた桃川実(二代目燕林)の門下で燕雄。その後
実死後、二代目桃川如燕の門へ、如燕死後、桃川若燕の身内で戦前まで高座で活躍。戦後は、谷中でこじき同様の生活に甘んじていた。再起を願う、知友、講談組合の助力で昭和二十八年十一月より、帰り咲き。昭和三十一年真打昇進
「寛政力士伝」「佐倉義民伝」「慶安太平記」「両越評定」
燕雄が主人公の安藤鶴夫著「巷談本牧亭」は直木賞受賞。前進座、新派で劇化された。
by koganei-rosyu | 2007-11-17 10:18 | 聞書き:芸人エピソード編
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