26.小金井芦州と神田伯龍の芸風の違い

<長谷川>そう云えば伯龍先生(五代目写真)の読み物といまの芦州先生とけっこう重なってますね、ネタ的には。
<芦州> ネタ的にそうですね、伯龍先生は派手でしょう―ようするに。六代目菊五郎{註:1885~1949}にウチの師匠はご贔屓になったていう。で、伯龍先生はね、十五代目市川羽左衛門{註:1874~1945}ね、あの与三郎のね、あの人のご贔屓になった。分かるような気がするの。芸風がちがう。伯龍先生のは大向こうから声がかかるもん。あれですよ。ウチの師匠(おやじ)はそうでないですもん。それがまた六代目が好きなんですよ。で、よしんば一つの例をとると。まあね橘屋(十五代目市川羽左衛門)だと、―(メリハリのついた調子で)―何が、何して・・・ってんで、タ―ンとツケを出して、「いや、なあ―っ」と、「橘屋!」とくるでしょう。26.小金井芦州と神田伯龍の芸風の違い_c0121316_2252564.jpg〔ところが〕六代目じゃそうじゃないでしょ。―(淡々とした平たい調子で)―何が、何して、なってやら・・・とこれでしょ。はっきり云って、オリャ、六代目は知らない。吉右衛門のが好きだったから。そいで叱(おこ)られたんだけど。オマエは六代目の芸を知らねえって。ウチの師匠に。と云うのはそのくらい六代目は地味であり、また上手いけどもね。だけどもね、ワレワレが聞いたんじゃ、どうもね。〔六代目と師匠の〕そういった芸風が似てるから、ウチのがご贔屓になったんですよ。―なるほどなと思いますよ。でね、ワタシは本当は伯龍先生に行きたいけど、なことを云えばダメだと云われるから・・・
<長谷川>それで松村伝次郎の弟子へ。
<芦州> ところが、ウチの師匠は弟子はとらなかったの。否だと。オレは弟子は面倒だから。それを松村伝次郎の実の兄貴だから「オメエの親父(松村伝吉)はオレの親父でもあるんだ。その親父だって講釈師じゃねえか。神田伯龍(三代目)じゃねえか。何云ってんだ。オマエ、それともそのまま小金井芦州抱いて寝ちゃうつもりか。そんときに、全然知らねい赤の他人が小金井芦州を継いだらどうだ」って。「それじゃあ」って師匠はしぶしぶ弟子入りを認めたの。師匠はすぐいやがって、オレ、辞めちゃうと思ったらしいですよ。
by koganei-rosyu | 2007-06-20 10:22 | 聞書き:自伝
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